
私たちは千葉を中心に活動するアマチュア演奏家による室内楽を演奏するグループです.
演奏を楽しむことを最大の目的とし,また地域文化との交流も深めていきたいと考えています.
このウェブサイトでは私たちの音楽活動についての情報を発信しています.
活動ペースはゆっくりですが,ぜひ私たちの演奏会にお越しください.
メンバーが思うがままにしゃべりまくるコーナーなのであまりおこらずに,広い心で見守ってやってくださいm(_ _)m もちろんご意見・ご感想などいつでも大歓迎です.
戯言の各ページへのリンクは以下の通りです
珍しく連日更新です.
楽器の買い方について思ったことをすこし書いてみたいと思います. 私の周りの人にちょっと聞いてみたところ,楽器を買うときの本体(?)と弓の値段の割合は2:1という答えが返ってきました. 例えば本体が¥200,000なら弓は¥100,000という具合に.
この割合自体は別に問題はないように思うのですが,上述の場合,予算が¥300,000という方が思いのほか多いようです. つまり予算にケースやその他の備品の値段が含まれていない場合が多いということです. おまけでつけてくれると思っている節があるようなんですね. 以前,私がお世話になっている楽器店に楽器を買いたいという知人を紹介したときにもお店でケースの話になったとき, 「おまけでお願いしますよ」みたいなことをいわれて非常に恥ずかしい思いをしたことがあります.
確かに高い買い物ですから,ちょっとくらいはおまけしてくれてもいいんじゃない?という気持ちはわからなくもないですが, その考えは甘いといわざるを得ません.お店は商売をしている,ということはもちろん, これから長い付き合いになるパートナーを選ぶわけですからそれを保護するケースや備品などにお金をかけたくないというのは筋違いな気がします.
そこで,どうしても楽器がほしい!!という方には,とりあえず弓にお金をかけることをお勧めします. 予算として考えている全額をつぎ込んで,とはいいませんが,半分くらいは使って,できるだけよいものを買うとよいと思います. これについてはいろいろと理由があるのですが,それはまた次回.
今回は少し昔を思い出して,「練習」について書いてみたいと思います.
「練習」が好きな人って,少なくとも私の周りにはあんまりいません.かくいう私もその一人で, みんなであわせるとき以外はまったくその曲の練習をしないことが多々あります(関係者の皆さんごめんなさい). 一人で練習するときは,だいたい自分の好きな曲とか弾いたことのある曲を気の向くままに弾いて終わり,という感じです. まぁ,あまりにも難しいものは,とりあえず音を取れるくらいにはしておきますが.
ただ,弾き始める前に必ずすることがひとつ.
それは音階です.1stポジションでC線からA線まで往復3回.A線で,あがれる限界までさらに3往復. これだけはどんなときでも楽器をケースから出してすぐにやることにしています.というよりも癖になっているといったほうが正しいかな. 昔レッスンしてもらっていた先生が,始める前に必ず「じゃあ音階から」といっていたのがそのまま. 最初は「退屈だなぁ」と思っていたのですが,今になってみるとやっててよかったなと思います. これのおかげで,その日の楽器の調子や指幅なんかが確認できるので,しばらく楽器から離れていても やらないよりはずいぶん早く調子を戻すことができます.
上達してくると忘れがちになってしまいますが,基本ってやっぱり大事ですよね.気づくのがちょっと遅かった気もしますが(笑). ただの音階練習でもちょっと気を向けてみるとなかなか奥が深いものです.
次回も「練習」について書いてみようかな.これについてはどうですか? というのもありなので,何かありましたらぜひ,掲示板ででもメールででもご意見いただければ幸いです.
みなさんは楽器の値段って気になったことありませんか? 私はあまり気にしないほうですが,時々ふと気になることがあります.(こういう話をするとなんだか俗な感じがしますねぇ(^_^;)). 例えばこんな時.
つい最近,かなりお値段のする楽器を使っている方がいらっしゃったのですが, 偶然にも以前にその方が賛助出演していたらしい曲を私が聴いていたことが発覚しました. 驚いて本当に出演していたのか何度も確認してしまいました.だってそんな音はどんなに記憶をたどっても思い出せないのです.
プロの演奏家が使っている楽器なんかは,かなりのお値段がするものです. 有名なのはストラディバリやグァルネリですね.なかには数億円もするようなものもあります. 当然すばらしい音色を持っていますが,これは条件付のすばらしさ,といえます.
楽器のポテンシャルはそれこそ千差万別で,とてつもない力を秘めている楽器もあれば, そうでないものも(プロの演奏家が使っている楽器は(「いわゆる」高い楽器ですね)その力を秘めたものなのでしょう). さらに重要なのは,プロはその力を引き出すのに充分な力量を持っているということです. どんなにすばらしい楽器でもそれに見合うだけの力がなければ,ただの「高い箱」に過ぎません.
「表現てなんだろう?」について,私は全く別の立場です.
作曲家にしろ演奏家にしろ,音楽家の人生やら経験やら思想と, 音楽とは全く関わりがないと思います.表現すべきものは,作曲家が込めた意図などではなく, 譜のもつ形式・内容の可能性であって,要は出てきた音が全てなのですから.ポストモダン風に言うと,テクストとしての楽譜ということ.
同様に演奏者も「自分」なんてものを表現できるはずはなく, せいぜい音楽の世界の文脈における自分の音楽を主張できる(それは演奏者本人とは何の関わりも持ちません)にすぎません. 幸いなことに,偉大なピアニストであるホロヴィッツは演奏と人格とが無関係であることを証明してくれました. 音楽の外にあるもの(作曲家の「意図」とか)を持ち出さなくても,それ自体にある価値を表現していきたいものです.
今回は,演奏するとき何を考えながら弾いているかということについて書いてみようと思います.
私は楽曲の構成を考えるという事が非常に苦手です.ここからここまでは導入部だとか,ここは展開部だとかいうことです. もちろんこれはとても大まかな構成であって,他にもっと細かい構成要素はあります. それは外声と内声のバランスだったり,パートごとの掛け合いだったりするのかなと思います.ちがうかな?
私が苦手なのは前者のほうで,ここは導入部だからこういう弾き方,展開部だからもっと色を変えて,とかいう事が考えられません. 「そんなんで曲がひけんのか!」と思われるかもしれませんが,私は違うやり方(ほとんどおんなじことだと思うのですが)で弾いています. それは,「お話」を考えながら弾く,という方法です. 例えば,「散歩してたら雨が降ってきて,木の陰で休んでたけど今度はその木に雷が落ちて,大変だったけどなんとか家まで帰れました」というような.これはむちゃくちゃすぎますけども. 「自分とおんなじようにやってる人はそんなにいないだろうなぁ」と思っていたら,前に一緒にやっていたVnが,なんと,おんなじこと考えながらやってました.
だから,かならずしも展開部だとか提示部だとかということを考えなくてもいいかなぁと思っています. だいたいはスコアの最初なんかに書いてあるものと同じような感じの展開を「お話」で作ることができるのではないですかね.その方が楽しいですし.
管理人のたわごとが半ばシリーズ化している状況ですが,誰か何か書いてくれないかなぁ・・・ま,それはともかく今回は,表現ってどういうことだろう,ということについてです.
ある楽曲があるとします.それは作曲家が何らかの意図を持って作ったものですから, そこには悲しみや,怒り,喜びなどの感情,あるいはそれ以外の何かが込められているものだと思います. つまり作曲家のある経験が一定の形に収斂,完了されたものといえるでしょう.
私は,演奏するということはそれを追体験するということではないか,と考えています. ただ,追体験する,といっても演奏者は当然作曲者ではありませんから,似てはいても異なる経験がそこに生まれるわけです.
演奏をする上での表現ということはこの「異なる」経験を伝える,ということなんじゃないでしょうか. そして,作曲家の意図を表現することも,もちろん大事なことなのですが,それよりも,演奏する楽曲の中で自分をどう表現するか, ということのほうが大事だと思います.曲のよさと自分のよさとをどう調和させるか, 曲の中で自分がどう弾くべきなのかを考えながら演奏するほうが,楽しいですからね.
突然ですが,みなさん「音楽性」ってどんなものだと思いますか?
私は以前,といってもかなり最近のことですが,この「音楽性」という言葉に振り回されていました. 自分には音楽性が,才能がないんじゃないか,そんな自分に室内楽なんてできるわけないじゃないか, なんてことを考えながらどうしようもない絶望感に苛まれていた時期があります.そんな私に,あるおじさんが言ってくれた言葉があります.
「「天才」とか「才能」とか,それは思考をとめるための言葉だから」
とってもうれしかった.そしてかなりの衝撃でした.誤解を恐れずに言えば「音楽性なんていうものは誰にもない」と言うことです. もちろん,誰にもないわけはなくて素晴らしい音楽を創り出す作曲家や演奏者たちには確かに音楽性ということばで評するのがふさわしい人たちもいます. でも重要なのは,魅力的な歌いまわしや,絶妙な調和,雄弁な表現にいたるまでが,あるレベルでは「技術」の問題として考えられるということです.
「音楽性がない自分」に絶望していた私にとって,この言葉は救いの光明でした. 楽曲を愛し,経験を重ねていくことで,より高い技術=音楽性に近づいていけるかもしれない, 自分にも表現することができるようになるかもしれない,そう考えられるようになりました. それ以来,頭を使って弾くことの楽しさがだんだんわかってきたような気がします.まあ,好き勝手やってるほうがやっぱり楽しいんですけどね(笑).
音楽って苦しい,でもその何十倍も楽しいもの.この文章を書きながらそんなことを思いました.
一通り,演奏会とライヴが終了してホッとしている今日この頃.ふとこんなことを考えました.考えたというのは,自分の演奏の方向性というか,指針みたいなものについてです.
私は周りから見ると非常に好き勝手なプレーヤーです,たぶん.根が不真面目だ,というのもありますが自分の中に「ここはこうなんだ!!」という何かがあると, fやpのような指示記号は無視して好きなように弾いてしまいます.まあ,合わせていく過程で最終的には落ち着いていきますけどね.
最初っから話し合って合わせりゃ良いのですが,最初のたわごとでも書いたように,ぶつかっていく中で自分の弾き方が変わる,相手の弾き方が変わっていく,そうして音楽が出来上がっていく. その過程がどうしようもなく面白いのです.やめられないとまらない,ではないですけれどもね.
でも,聴かせる演奏,いい演奏をするためにはそれだけでは足りない,とも思うのです.同じ方向を目指して進む,ということも必要なのだなぁ,と最近よく思うようになりました. 一言でいえば「管理」ということなのですが,これがどうも性に合わないというか,苦手というか・・・息苦しさを感じてしまいます.そうなったら自分の色なんで出せないのです. だから自分の色を出すことが曲のすばらしさを伝えることにつながると信じて,これからもがんばろうかと思っています.
コンサートを控えたいまごろになっての更新です.「頻繁に更新・・・」とかいたのですが,なかなか思うようにできないまま今になってしまいました.
今回のコンサートは,実は私たちEnsemble Larkのメンバーだけではなく,ゲストとして2つの団体が出演することになっています.
私たちは室内楽を演奏したいという想いで一致し,結成したわけですが,それは必ずしも「Ensemble Lark」という団体の中だけにある想いではないと思います. いろんな所に同じような想いを持った人たちがたくさんいるはずです.
私たちが目指しているのは,そんな想いを表現できる「自由で,柔軟な音楽空間」を創ることにあります. 今回ゲストを招いたことにはそういった意味が込められているのでした.
私がこの集りで何をやっているかというと,室内楽をやっているわけです(当たり前ですね).室内楽をやっていて一番楽しいのは自分が弾いているただの音の羅列が, 合わせていく過程で「音楽」になっていくのを実感できるところだと考えています.
何も言わなくても自分の弾き方を相手が感じとってそれに合わせた,もしくは負けない演奏をする. それが最初はむちゃくちゃでもだんだん洗練されてひとつの形になっていく過程を目の当たりにできる.これはむちゃくちゃ楽しいです.
そうやって作られた音楽は聴いていても,中で起こっている攻めぎあいや調和をまるで自分が弾いているかのように感じられるときがあります. その逆ももちろん.
一回これを経験しちゃったらもうやめられないんじゃないかなぁ.